【さよなら絵梨】何が真実で何が嘘?絵梨は死んだの?ラストの意味は?【藤本タツキ】

さよなら絵梨 マンガ

こんにちは!

さよなら絵梨考察班の兎丸です!

 

「チェンソーマン」「ルックバック」といった話題作を生み出し続ける鬼才・藤本タツキ先生。

そんな藤本先生が描く200ページの超大作読み切りが「さよなら絵梨」です。

「え?なにこれ?マヂ意味わかんない・・・」

と感じた方も多いと思います(笑)。

今回は、早くもネットをざわつかせている「さよなら絵梨」の伏線や隠されたネタについて考察していきたいと思います!

 

単行本化が決定しました!

 

この記事はネタバレを含みます。

本編未読の方は必ず読んでから戻ってきてくださいね!

 

 

それではいってみましょう!

 

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【さよなら絵梨】何が真実で何が嘘?絵梨は死んだの?ラストの意味は?

さっそく「さよなら絵梨」について考察していきます。

個人的な解釈が多々ありますので、「あまり気にしないよ!」という方のみ読み進めて下さいね!

 

すべて「さよなら絵梨」という映画の出来事

結論から言ってしまうと、すべて「さよなら絵梨」というタイトルの映画のなかの出来事ではないでしょうか。

 

本作は「さよなら絵梨」と書かれたスマホの画面から始まります。

そして物語は基本的にすべて同じサイズのコマ割りで進みますよね。

これは「映画のフィルム」や「スマホ画面」を意識していると思われます。

つまり、本作は優太が作った「さよなら絵梨」という名前の映画をスマホで観ている視点なのではないでしょうか。

 

そもそも「さよなら絵梨」というタイトルは、映画「ぼくのエリ」のオマージュだと思われます。

「ぼくのエリ」は、ヴァンパイアの少女と人間の少年の切ない初恋を描いた海外の映画です。

なんとなくテーマが似ていますよね!

 

また、コマがスマホで撮影した画面だとするならば、当たり前ですが、すべてのコマは「カメラ」の視点になりますよね。

文化際で爆発映画を上映した優太が先生に叱られるシーンなど、どう考えてもあらかじめカメラの位置や立ち位置を設定して撮影したとしか思えない画角が多数見られます。(大人優太が廃墟を去るシーンもですね)

さらに、大人になった優太の外見が、優太の父親とそっくりですよね。

親子なので当然ですが、父親役の人が、大人の優太も演じていたと考えても一応の納得がいきます。

 

ジャンプ+掲載時のラストに書かれた「終幕」の文字。

終幕とは「演劇が終わること」を意味する言葉です。

「演劇」とは、脚本に従って演技し、観客に見せる芝居や劇を指しますよね。

つまりはそういうことです。

 

「どこからどこまでが映画なの?」と疑問に思う方もいると思いますが、個人的には「最初から最後まで全部優太が作った映画」だと感じました。

 

どこからどこまでが現実?

非常にややこしいですが、先ほども言った通り「すべて作り物」だと思います。

ここでは、映画の中における物語上の「現実」と「創作」について解説していきますね。

映画の内容を時系列順に並べるとこうなります。

 

①優太が誕生日にスマホを買ってもらう。

ここは作中で何度も言及されていますので(物語上の)現実でいいでしょう。

誕生日に買ってもらったスマホが、優太が最初の映画を作るきっかけになりました。

 

②母親が自らの闘病生活を撮影させる

冒頭で「動画ならお母さんの声も動きも見返せるから、そうすればお母さんいなくなっても思い出せるでしょ?」と、あたかも残された家族のために動画を残したいように語る母親。

しかし実際は、テレビプロデューサーをしていた母親が、自らの闘病生活を題材にしたドキュメンタリー番組を作ることが目的でした。

母親の病気は本当。

病気で亡くなったのも本当です。

ここは、父親が母親の死の間際の動画を撮影していることや、優太の映画を見た学校の人々が不快に感じていることからも間違いないと思います。

 

③優太が爆発オチの映画を学校で上映

もともとは母親に作らされていた動画ですが、優太は母親の死後に映画にしています。

父親の証言によれば、母親は優太に暴力を振るったり、無視したりとお世辞にも素晴らしい人物ではなかったようです。

だからこそ優太は「せめて映像で思い出す時くらいは綺麗な理想の母親であってほしい」と考え、母親の綺麗な部分だけを切り取って映画にしました。

 

④絵梨と出会い、映画を作ることになる

爆発オチの映画が不評だった優太は自殺を考え、絵梨と出会うことになります。

結論から言ってしまうと、優太の自殺前~絵梨の闘病生活まではほとんどが創作ではないでしょうか。

というのも、絵梨の闘病生活を撮った映画を観た友人とのやりとりで「絵梨がメガネをしていた」「絵梨は歯の矯正をしていた」「絵梨と優太は恋人ではなかった」「絵梨は嫌な女だった」と語られていますよね。

優太と出会った時、絵梨はメガネもかけていませんし、歯の矯正もしていません。

少し変わった女の子ですが、嫌な女ではありません。

つまり、絵梨との出会いの場面は優太と絵梨が相談して作った台本だったと考えられます。

 

⑤絵梨が病気で他界。文化祭でリベンジを果たす

絵梨と優太の出会いは創作ですが、絵梨が病気だったのは本当だと考えられます。

絵梨の映画を観た生徒たちが泣いている点、絵梨の友人が優太に感謝している点、優太が大人になっても絵梨の映画を編集し続けている(引きずっている)点からも分かりますよね。

つまり、絵梨と優太が出会う(もともと友達だった可能性もある)→絵梨の病気が発覚→優太と絵梨の出会いの場面を撮影→絵梨他界→絵梨の映画上映、という順番になります。

ちなみに、文化祭で号泣するみんなを見て優太が「ピース」をしていたのは絵梨のクセを真似たものです。

絵梨は、映画で「戦いに勝利するシーンになると小さくピースする癖」がありました。

絵梨との約束である「次の映画でみんなをブチ泣かす」というリベンジが成功したからですね。

 

⑥優太の妻と娘が事故死。絵梨と再会し爆発end

絵梨の映画を上映した後、優太は引きこもりになり、ひたすら絵梨の映画を編集し続けました。

やがて大人になり、家族を持った優太ですが、ある日妻と娘を事故で失ってしまいます。

正直家族の他界については真偽不明です。

ただ、少なくとも優太が「さよなら絵梨」を編集し続けていたことは事実でしょう。

でなければ絵梨の死後、優太が大人になってからも動画が回っているはずがありません。

動画を撮っている=まだ映画を作っている、ということですよね!

そして吸血鬼だった絵梨と再会した優太は、自らの映画に足りなかったものを理解します。

ラストは大爆発でジエンドです。

 

結局絵梨は人間?吸血鬼?

結論から言ってしまうと、絵梨は本当に吸血鬼だと思います。(あくまで物語上の話です)

そう考える理由として、優太が映画の最後を「爆発」で締めていることが挙げられます。

 

そもそも優太が映画を「爆発」させるのは、優太が映画に「ファンタジーをひとつまみ入れる」癖を持っていたからです。

現実の中にほんの少しだけ非現実的な描写を組み込んでしまう癖ですね。

当初、優太は「さよなら絵梨」という映画において「絵梨が実は吸血鬼だった」というファンタジー要素を組み込んでいました。

つまり、「吸血鬼」という非現実を組み込むことで優太の映画は完成するんですね。

 

ではなぜ優太は、すでに「吸血鬼」というファンタジーがあるにも関わらず「爆発オチ」という非現実を重ねたのでしょうか。

吸血鬼に爆発オチでは「ひとつまみ」どころではないですよね。

答えは「絵梨が本当に吸血鬼だった」からではないでしょうか。

 

ファンタジーだと思っていた吸血鬼が実はリアルだったため、優太の映画はずっと完成しなかったのです。

優太は絵梨に再会するまで、ずっと自分の映画に足りないものを模索し続けていました。

「さよなら絵梨」を延々と編集し続けていたのがその証拠です。

絵梨と再会し、吸血鬼が現実であると知った優太は、「爆発」という「ひとつまみのファンタジー」を加えることで映画を完成させたのではないでしょうか。

 

↓藤本タツキ先生の神作品「ルックバック」の伏線、小ネタ、ラストの考察はこちらの記事です

 

↓藤本タツキ先生初の短編集「17-21」「22-26」のまとめはこちらの記事です!

 

藤本タツキ新作読み切り「さよなら絵梨」のまとめ

結論、ぜんぶ映画のできごとです。

 

今回は以上です!

それではまた次回、お会いしましょう!

 

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